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RADWIMPS「五月の蝿」(歌詞の意味と解釈)

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RADWIMPS「五月の蝿」(歌詞の意味と解釈)


このあいだ、RADWIMPSの新アルバム「Xと○と罪と」を買いました。




どの曲も個性的で、繰り返し聞いても飽きないものばかりです。




個人的には「いえない」が大好きです。




さて、今日はこの「Xと○と罪と」にも入っている、




「五月の蝿」




についてです。




個人的には歌詞は書いた本人にしかわからない部分を


多くもっているとおもうので、あまりそれについて


解釈をするのは好きではないです。




しかしながら、自分なりに思うところがあり


書いてみようと思います。




ここからは完全に個人的な考えなので、


読んで悪い気がする人もいるかもしれないです。




読みたくない方は、ブラウザの引き返すボタンをどうぞ!




また、歌詞に関しては


著作権を侵害することになるので、


安易にコピペで転記せずにお送りします。




五月の蝿は、かなり衝撃的な内容で


WEB上では、「別れた彼女の歌」なんて評価がされています。




「愛情の裏返し」みたいなことも書かれています。




しかし、自分はこの歌を聞いたとき、


少なくとも「別れた彼女」に対して作った歌詞とは


考えられませんでした。




なぜなら、聞くとなんだか妙に悲しい気分になるから。




そして、私は「ふたりごと」の頃からのRADWIMPSのファンですが、


あの歌詞を生んだ人間が


それもバンドの名のもとに「別れた彼女」に対して


世に放った歌とは思えなかったからです。




(そりゃ、彼が二重人格という可能性もありますが。。。)




「彼女」という一度でも自分が愛した人間に


あのような酷いことができるか?




少なくとも、自分には


どんなに酷い別れ方をしてもできない、


聞きながら思っていました。




たとえ「彼女」でなくても


歌詞のような状態の人間が目の前にいたら


きっと助けるのではないでしょうか?




きっと、作者は、


歌詞に出てくる「君」は人間ではないことを


示すためにあれだけ過激な表現にしたのではないでしょうか?



(もちろん、単に話題になるからという考えもあるかもしれないですが、

個人的にはあまり思わないです。

話題になってCDが売れるからといって、自分の魂を売るようなバンドだと思ってないから)




では、誰か。




もしかしたら、人間ではないのかもしれない。




人間ではない誰か。




ずっと考えていました。




そして、




MusicVideoを見たときに思いました。




「誰か」とは「東北の災害」かもしれないと。




「別れた彼女」でもなく、「愛した誰か」でもなく。




海辺の箱から始まり、赤く染まった波が


部屋に溢れてくる。




赤く染まり、炎上し始める箱。




震災を思い出さずにはいられなかった。




こうやって書いているけど、


別にMusicVideoを作ったひとは


「ただ火事になっても問題ない海辺で箱を燃やしたかった」からかもしれないし


「赤い波が部屋に入ってくるのを見たかった」だけかもしれない。




ただ私が思ったことを書いてみました。




「あれだけの歌詞を生み出してきた彼が


一個人の事情だけでこの歌をリリースしたとは


どうしても思えなかった。」




それがこのエントリーを書いたきっかけです。


公式と書かれているのでYoutubeから

MusicVideoを載せます。







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